teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


別HPですが

 投稿者:鼈の化石メール  投稿日:2009年11月10日(火)21時56分10秒
編集済
  自分の管理している別HP「妄想の庵」の「それぞれの死」に
「大モルトケ(ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ)の死」という
文章を書いてみました。構想としてはこの後小モルトケやヒンデンブルグとか書いて
ナチスドイツの将校なんかも書いてみたいんですが、無理かな?
 
 

取り急ぎ

 投稿者:しば犬メール  投稿日:2009年10月24日(土)23時27分36秒
  しば犬です。誠意あるご返信ありがとうございます♪

大変興味深く拝見いたしました。

1:戦術面の解説
2:政略面の解説
3:戦略面の解説

と、まとめられていたので確認したい事項をすっきり理解することができました。太平洋方面において、アメリカが1942年当時に展開できる兵力の規模が把握できたのは僕にとって大変に助かりました。あと、僕の不確かな認識も改めることができました。太平洋方面におけるアメリカ軍の初期守備兵力の配置の部分です。何かの資料で、開戦時にアメリカはサモア方面に3個師団の守備部隊が存在していたというのをみつけたのでそのまま記憶していましたが、どうも違っていたようですね。それと、守備兵力を進攻部隊に流用出来ないのは、もっともだと僕も思いました。単に歩兵の装備に言及すればそれほど大差はないかもしれませんが、進攻する目標への敵情分析と作戦準備、支援火器など大隊規模の見直しが必要でしょうし、当然作戦の為の訓練が必要でしょう。それを考えると、『ウォッチタワー作戦』はアメリカにしてはバタバタしたものだったかもしれません。ミッドウェイ海戦での勝利をフル活用したニミッツ提督の戦略眼は、確かだったと言うことでしょうか。

「トーチ作戦」と「ウォッチタワー作戦」の政略面での比較も楽しく拝見しました。

北アフリカ戦線自体、かなり政治的な都合を優先させているらしいことは色々な資料で見ることはありますが、アメリカとしてなるべく早期にヨーロッパ戦線に参入する必要性があったことが、改めて理解できました。

また改めて質問をしたいことが幾つかありますが、考えをまとめてからにします。取り急ぎお礼の返信をいたします。
 

当方の間違いですね

 投稿者:鼈の化石メール  投稿日:2009年10月23日(金)18時53分46秒
  ※zero-yamatoさん
 初めまして。鼈の化石と申します。今後ともよろしくお願いいたします。
 ご指摘の点ですが、これは完全に間違っていますね。石見はアリョール(最近はオリョール
と記載されることが多いみたいですね)ですよね。
 訂正させていただきます。
 

旧ロシア戦艦に付いて

 投稿者:zero-yamato  投稿日:2009年10月23日(金)14時07分47秒
  初めまして、私、軍艦史に興味を持っているzero-yamatoと申します。
今回、貴HPを楽しく拝見させて頂きました。
 付きましては、
ロシア帝国戦艦「スラヴァ」 解説の項で、(レトウィザン、のちの日本戦艦石見)と有ります、手元の資料によると「肥前」と成っているのですが? 何せ資料が少ないもので迷っております。如何でしょうか。
HP「旭日旗」管理人 zero-yamato
 

遅くなりましたが その2

 投稿者:鼈の化石メール  投稿日:2009年10月21日(水)21時40分49秒
   ガダルカナル上陸作戦はこの後に行われたトーチ作戦と比較してみますと確かに規模はかなり小
さい作戦に見えます。しかしトーチ作戦は戦略面も重要ですが政略面においても大きな目的があり、
そのために必要な兵力も大きくなったとも思えます。そのあたりを考えてみたいと思います。

 太平洋戦争勃発直後、当時の英首相チャーチルは米国を訪問し今後の対枢軸国との戦争につい
て当時の米大統領ルーズベルトと協議を行っています。この協議で米国の戦略は対独を主軸とし、
対日戦は副次的な扱いとするということで協議は纏まりました。ところが実際には太平洋戦線では日
本軍の攻勢で1942年前半までは押され気味の展開となり、一方ヨーロッパ戦線ではこの時点では
ドイツ陸軍と戦果を交えているのはソ連と北アフリカのイギリス軍でアメリカが参戦できる状況ではあ
りませんでした。アメリカとしてはイギリスとの協調関係を保つためにも自国の軍隊が参入出来る戦
線を構築しなければいけない状況で、それを実行に移せたのはトーチ作戦でした、このためトーチ作
戦はアメリカ軍としても相応な規模の軍隊を投入する必要がありました。またトーチ作戦で上陸する
北アフリカに展開していた軍隊はドイツ軍ではなくヴィシー政権下のフランス軍でした。当時のフラン
ス軍はなんとか事件の影響でイギリス軍に対しては敵意を抱く傾向が強い一方、祖国を占領してい
るドイツに対する反感もあり、不安定な状態でした。トーチ作戦でのアメリカ軍の参入は直接的な戦
力よりも在北アフリカのヴィシー政権フランス軍に対する揺さぶりの効果が大きかったと思います。こ
の目的もあり、相当な規模のアメリカ軍がトーチ作戦に参加することになったと思われます。ただこの
時投入されたアメリカ軍は実戦経験がほとんど無い部隊でのちのチュニジアの戦いで司令官アイゼ
ンハワーに「我々のボーイズは戦えるのか?」と嘆かせることになります。


 ガダルカナル島上陸作戦がなぜ「8月上旬」に行われたかという点ですが、これは戦略面での要素
が大きいと思います。正直なところ、上陸を担った海兵第一師団に関しても実際に上陸作戦に関す
る訓練を開始したのが7月に入ってからという状態で、万全な体制ではなかったのは事実だといえま
す。それでも敢えて上陸作戦を敢行したのは「拙速」ではなく「時機を逸しなかった」ということだと思
います。
 個人的な見解ですが1942年8月時点での日本海軍は「戦える状態ではなかった」と言えると思い
ます。個々の戦場で戦闘は継続していましたが、中央では今後の戦争指導をどうするか具体的な目
標を立てられなかった状態であったと考えます。ミッドウェイの敗戦でこれまで行えた機動部隊による
攻勢が実行できなくなり、作戦指導は麻痺している状態でした。ガダルカナル島への飛行機建設にし
てもそれまでの方針であるFS作戦に備えて漫然と行った結果、完成直前に米軍に奪取される結末
を迎えます。この日本海軍の麻痺状態はガダルカナル上陸後もしばらく続き、対応が後手後手に廻
ることになります。この日本海軍の失態を引き出したのが米軍のガダルカナル8月上陸であったと自
分は考えます。
 仮定の話になりますが、もし米軍が反抗準備を整え、1942年10月に三個師団をもってガダルカ
ナル侵攻を行ったとしたら、史実とはちょっと異なった状況になったかもしれません。また8月に上陸
作戦を行わなかった場合、ミッドウェイでの米軍の勝利の価値は数割減じることになったでしょう。米
軍のガダルカナル侵攻は確かに少々強引な面もありましたが、戦術的奇襲だけではなく戦略的な奇
襲効果を引き出し、ミッドウェイの勝利をより大きくするためには必要なことであり、こうした姿勢はむ
しろ国力で劣勢な日本海軍が執るべき姿ではなかったと思います。
 アメリカ軍が1942年末時点で上陸作戦に投入できる兵力は二個海兵師団(第1、第2海兵師団)
のみであったろうと思います。開戦時にはサモア諸島にはアメリカの守備隊はおらず開戦後にニュー
カレドニアで編成された第23歩兵師団がガダルカナル戦に参加しています。

 いくつかの疑問点もご質問されていたので、そちらにも堪えたいと思います。米軍が太平洋に展開
していた他の部隊はガダルカナル上陸に転用できなかったという点ですが、軍隊はその目的に合わ
せた装備、訓練を行っておりたとえば後備の治安を行う師団を一ヶ月で上陸作戦に転用するというこ
とはいくら何でも無理でしょう。またガダルカナルの上陸正面の地勢からいっても上陸に用いる師団
数は一個師団が適当だったと思います。逆な見方をすればガダルカナルは防御には適した地勢で、
ここに飛行場を建設しようとした日本海軍の判断は(飛行場建設に適した地形だったのが一番の理
由ですが)合理的であったと思います。

 ガダルカナル上陸に関して米海兵隊が装備していた小銃は半自動小銃のM1ガーランドではなく
旧式のボルトアクション小銃のM1903スプリングフィールドを装備していたという点ですが、これは
事実です。ただいくつかの点で米海兵隊はカービンを継続使用する判断を下したと思います。
 一つ目はガーランドがこのガダルカナル戦が初陣だったという点です。軍隊で使用する装備は平時
では考えられない負荷が戦時では生じます。特に半自動装填という機構を取り入れているガーランド
は戦場での使用に耐えられないという危険性も孕んでいる、と考えられなくはない事だったと思いま
す。このため実績のある旧式のM1903装備のままで戦場に望んだという点はあると思います。
 二つ目はボルトアクションの命中率の高さということがあります。自分は射撃に関してはあまり詳し
くないのですが、射撃を行う人の話ですとじっくり狙って討つ場合、ボルトアクションの方が命中率が
良いとのことです。実際にはボルトアクションは装填時に目標物から目をそらしてしまうので連続射
撃では命中率が悪くなると思うのですが、新機構の武器よりも使い慣れた武器の方が命中率が高く
なるのは理解できます。以上の点からガダルカナル戦では敢えて旧式のM1903を選んだのではない
でしょうか?ちなみに米海兵隊では朝鮮戦争時においてもM1903の改良型を狙撃銃として使用し
ています。

 説明不足の点は多々あると思います。また疑問点などございましたら掲示板に書き込んでくださ
い。すぐにレスは出来ないかもしれませんが、なるべく努力したいと思います。
 

遅くなりましたが

 投稿者:鼈の化石メール  投稿日:2009年10月21日(水)21時38分52秒
   さて・・・、もうだいぶ前の投稿になってしまいましたがなかなかお返事を書くことが出来ず申し訳あ
りませんでした。もうチェックされていないかもしれませんが、とりあえずお返事をしておきたいと思い
ます。

 今回のご質問は戦術、戦略面だけではなくトーチ作戦との比較もあり、政略面にも視点を広げない
といけないので自分がよく行う
   1:戦術面の解説
   2:戦略面の解説
   3:政略面の解説
の順番を崩し、
   1:戦術面の解説
   2:政略面の解説
   3:戦略面の解説
という順番で書いてみようと思います。

 まず、戦術面から見てみますと、ガダルカナル上陸作戦で米軍が投入した(できた)戦力は海兵一
個師団でしたが、当時のガダルカナルの島における日本軍の防衛状況からすれば投入戦力として
は妥当な兵力であったと思います。米軍は在ガダルカナル島日本軍部隊が海軍部隊、それもほとん
どが設営隊であることを察知していました。米軍の第一目標である飛行場の制圧には当然敵部隊は
排除しなければいけない存在ですが、一個師団の投入は目的に見合う規模だったと思います。
 またガダルカナル上陸作戦は戦術上史上初の試みが多く実行されました。
  1:敵の航空部隊が攻撃可能な地点に
  2:空母機の護衛を受けて敵前上陸を行い
  3:上陸の最初の目的は敵飛行場の奪取
  4:気象、地形等も未知の部分が多い
これらの条件に加えて、米軍はガダルカナルと併せてツラギにも同時に上陸作戦を行っています。指
揮系統が全く独立しているのであればともかく、一つの作戦でお互いに融通しあう(予備隊の投入
等)場面を想定すると、いたずらに指揮系統の分散を生じるよりも一個師団の中で指揮系統を一本
化した方が不測の事態に対応しやすかったと思います(実際にツラギ攻略では多少の混乱があっ
た)後で述べる戦略面での制約で一個師団しか送れなかったということもありますが、戦術面からは
上陸時の投入兵力に関しては妥当であったかと思います。
 

気力の充実を期待しています。

 投稿者:しば犬メール  投稿日:2009年 9月28日(月)00時55分0秒
  お忙しい中、返答ありがとうございます(o・ω・o)ゝ

動物たちへのご奉仕など大変そうですが、質問にはご負担にならない範囲で教えていただけたら嬉しいです。

よろしくお願いします。
 

まだ更新します!気力が出れば・・・

 投稿者:鼈の化石メール  投稿日:2009年 9月27日(日)21時19分50秒
  ※しば犬さん
 はじめまして。鼈の化石と申します。今後ともよろしくお願いいたします。
 一応、このHPはまだ運営しています。実際には去年から更新していないんですが・・・。
 本日も今出張先の水戸から川口に帰還したところです。これから飼っている動物たちに
ご奉仕しなければいけないので、ご質問の方は明日(できれば)レスしたいと思います。
 

太平洋の嵐というゲームから始まりまして・・・。

 投稿者:しば犬メール  投稿日:2009年 9月24日(木)23時43分31秒
  初めまして。三十路半ばにして『太平洋戦争』を調べ始めた愚か者です。しかもゲームから興味を持ちはじめたという不埒な輩でございます。

博識なHPにめぐり会えたのでご挨拶と質問をお伺いしようと思いました。お許しください。

最初から微妙な質問で申し訳ありませんが、こちらのHPはまだ更新されているのでしょうか(爆)太平洋戦争について、やっとちゃんとした?質問ができる場所を見つけられた思いだったので、はじめにこの質問をしました。無礼ですいません(汗)

あと、どこを調べてもなかなかわからないことも質問します。太平洋戦争開戦時から1942年末まで、アメリカが太平洋に動員できる陸上兵力はどの程度の規模まで想定されていたのでしょうか?

1942年11月に展開される「トーチ作戦」では10万の兵力を動員していますが、太平洋方面では、同年8月より開始されるガダルカナル島飛行場確保を目的とした「ウォッチタワー作戦」で使用される兵力は海兵隊の1個師団のみとのこと。おまけに作戦発動時に海兵隊が所持していたのは有名なM1ガーランドではなく旧式小銃を携帯して戦ったようです。いかにも間に合わせ的な感じが漂います。

開戦時の太平洋におけるアメリカ軍の初期兵力配置では、サモア諸島に3個師団程度の守備部隊が存在していたらしいですが、その後の動員経過がよくわかりません。ハワイの守備兵力もどの程度の規模だったのかを教えてくれる資料もわかりません。

帝国海軍の質問でなくて恐縮ですが、よろしくお願いします。
 

アメリカ人の「貪欲さ」

 投稿者:鼈の化石メール  投稿日:2009年 5月26日(火)21時39分36秒
  ※海軍バカさん
久々に熱い投稿が寄せられましたねぇ。

科学技術についての論点がありましたが、アメリカが独自に開発を行った兵器、システム
は現実には原子爆弾ぐらいなもの(原子爆弾もフェルミなどの亡命者が開発を手がけてい
ることを考えると、アメリカ単独での開発とは言えないかもしれない)で、他国で開発し
てきたものを発展・実用化していったものが多いのには驚かされます。空母運用にしても
太平洋戦争勃発時には単独運用だったものを中期からは集中運用に切り替えたりと、これ
は日本海軍の空母運用を手本にしたといっていいでしょう。必要だと思えば敵の戦術まで
取り入れる。アメリカという国の底力はそこにあると言ってもいいかと思います。
 

紳士対ガキ大将の戦い。

 投稿者:海軍バカメール  投稿日:2009年 5月26日(火)14時24分8秒
   日本の陸軍や海軍の戦略や作戦は明治から一歩の進歩も感じる事が出来ない。海軍は海外
への遠洋航海が多く洗練された戦略論でも有れば、今次大戦で負けた事も仕方が無いと諦め
も付くが、戦争の中盤戦辺りから愚か成り連合艦隊と言いたい。
 暗号解読・レーダー・ソナー・近接信管・爆雷投射器・高性能魚雷の開発・CIC(コン
バットインフォメーションセンター)・潜水艦の無音化・原子爆弾等の開発が日本を敗戦に
追いやった。原爆以外は大した発明で無いと思われるかも知れないが、一つ一つを組み合わ
せると戦艦10隻~20隻に匹敵する。
 経済力も然る事ながら、科学力も圧倒的に引き離されていた。大誤算は日本に大和魂が有
れば、米国にはヤンキー魂が有り積極果敢に挑戦して来た。
 米国軍人の勇気と敢闘精神には、敬意を表さざるを得ない。特に艦船のダメージコントロ
ール(爆撃による艦内の爆発火災に消火隊員は身を挺して戦った。対空機関砲員の航空機に
対する飽くなき闘争心には感服する。中には水兵がライフル銃を構えて零戦の特攻機に射撃
している姿が印象的で有った。)
 

千代田の履歴完成

 投稿者:鼈の化石メール  投稿日:2009年 1月 3日(土)22時11分44秒
  新年あけましておめでとうございます。今年もどれだけ更新できるか分かりませんが、
何とかやっていきたいと思います。

空母の履歴、千代田が完成しました。宜しければお目を通してください。
 

改装完成日

 投稿者:鼈の化石メール  投稿日:2008年11月25日(火)20時43分44秒
  空母の履歴に神鷹と千歳うpしました。
ここ始めた頃、うpなんて言葉無かったよなぁ(遠い目)

それはそうと、日本空母の履歴表のところ見たら、千代田の方が千歳よりも早く完成して
る~!。なんで~?

調べてみると、世界の艦船増刊第40集「日本航空母艦史」では改装完成期日が
千代田 昭和18年12月26日
千歳  昭和19年 1月 1日
となっており、これを参考に改装完成期日にしたと思われる(作ったのが10年前なので)
う~ん。すでに輸送任務行っていた千歳に追加工事があって、完成日が千代田に遅れて
しまったのか・・・。まぁ、とりあえずはこのままにします。なにか根拠が出てきて期日
ずらした方がいいと思ったら直します。
 

空母海鷹の履歴完成

 投稿者:鼈の化石メール  投稿日:2008年11月18日(火)04時20分34秒
編集済
  ホントはずいぶん前に完成していたんですが、こちらに告知するのを忘れていました。
良かったらお読みくださいませ。
 

こっちも五年ぶりに更新だな

 投稿者:鼈の化石メール  投稿日:2008年10月26日(日)17時22分7秒
  旧日本海軍かく戦えりの空母龍鳳が5年の歳月をかけて完成しました。つうよりも
五年間放置していたといった方がいいか(^^;
良かったら読んでみてください。
 

5年ぶりかな

 投稿者:鼈の化石メール  投稿日:2008年 9月21日(日)04時24分56秒
   完全に化石化している当HPですが、このほど5年ぶりに新コーナーを開設してみました。
 「偲ぶ」自らは望まずに戦場に散っていった方々の物語、になる予定です。
 例によって管理者の思い入れで内容がかなり左右されるとは思いますが。
 良かったらお読みくださいませ。
 

始めまして

 投稿者:香亮  投稿日:2006年12月26日(火)10時17分16秒
  お邪魔します。香亮と申します。

早速なんですが、僕の祖父は戦艦大和の乗組員で、右舷の高角砲員で、
最期の沖縄特攻で死んでしまいました。
250㌔爆弾が至近で爆発したため散華してしまったそうです。
そのあとに総員退去の命令が出たので、祖父は無念だろうと思います。

そうやって人々が死んでいったのを忘れないためにも、こうやって
進んで戦争の情報を載せるのはやはり、大切なことだと思います。

更新等、頑張ってください。
 

 投稿者:  投稿日:2006年 4月24日(月)20時40分28秒
  「戦艦アルミランテ・ラトーレ」をクリックすると何故か「ドイツ戦艦ゲーベン」の説明になるようですが・・・?  

(無題)

 投稿者:みー  投稿日:2006年 3月25日(土)01時15分34秒
  先程出してから読みましたが、(徳山や呉は父の海軍の足跡なので信濃とはまた話しが違い誤解されてしまったらごめんなさい)
話しがおかしくなってしまったら申し訳ないので。
 

航空母艦信濃

 投稿者:みー  投稿日:2006年 3月25日(土)01時03分14秒
  父は航空母艦信濃に乗船していた一人(操舵室)。高齢ですが元気ですぐそこに居る事が当たり前の日々がありました。いついつまでも元気で居てほしかった父が癌になり生きようとしながら信濃の最後の日の話しばかり。徳山港、呉、江田島、横須賀に温かくなったら一緒に行って父の足跡と話しを聞くのが楽しみでした。私は30代
小さい頃は興味を持てずかなり大きな信濃の模型の看板の飛行機を取って飛ばすまねをして遊んで育ちました。写真や書籍が少なく広島に行けば何かを探すことが出来るような木がありました。父に生きるための発見や恩返しを少しでも出来たら幸いです。
 

レンタル掲示板
/6